2009年5月20日水曜日

最も凶悪な汚染

全自動洗濯機(と断るワタシは数年前まで二槽式を使っていた)がその日の洗濯を終了したので、中身を出して干しにかかったワタシはじきに異変に気がついた。黒い靴下にチラホラと白く細かな付着物。続いて黒や暗色系のTシャツがホボ全滅状態であるのを認めるのに、そう時間はかからなかった。

やってもーた

ティッシュペーパーが混入したに違いない。本体が見つからないところを見ると1枚くらいが完全に破砕されたのだろう。それにしても完全であるから、糸くずとかそういうレベルじゃなく、一枚はほとんど柄物になっていた。

対処法はいろいろあるだろうが、最近暑かったり原稿たくさん書いてたり大学の講義が難しかったり「バッテリー」が聴くといつも自分が練習しているペースより速かったりと調子の悪いワタシ、完全に判断停止状態になった。つまり、何もやる気が起こらなかった。ただそこは愛の力でダソナの衣類だけはなんとか「ちょっと糸くずついちゃったけどゴメンね」と言い逃れられるくらいにまで復旧させ、自分のTシャツはもうその吹雪柄のまま着て歩いている。いんだヨ洗剤かけて洗ったんだから綺麗なの。ときどき落ちてる紙くずは掃除機で吸い取ってるんだし。ただ昨日その吹雪柄のTシャツのままで寝て朝起きたらTシャツは黒々と綺麗になっていた。あれらのものはこのシーツに移動したのだろうか、コレ洗うときどうしようかと思っている。

2009年5月17日日曜日

シーッ

大学に行くとなるとやっぱりプログラミング言語はCが標準のようで、Cは全然と言って良いほど知らないワタシはプログラミング演習とかとったわけじゃないんだけどなにかにつけて全然と言って良いほど知らないとは言ってられない感じがしてきて、今日は幸か不幸か天気も悪いし家でCの勉強をした。ほんの初級の勉強だったが、思いも寄らないエラーが出て勉強になった。

・scanf関数でキー入力を受け付けてどうこう、という処理では、改行キーもキー入力と見なされてしまう。だからキー入力(をしたつもり)のたびに「入力してください」と表示するように指定したメッセージが二度ずつ出てしまうから、改行記号は読まないような工夫が必要だ。
・printf関数で表示をする場合、数値を出力するのに%dと指定するところを間違って%sと指定したら、コンパイルエラーは出ないけど実行時にコアダンプした。どんな不遜なプログラムを書いてしまったのかと思った。

世の中、Cを今更わざわざ勉強する必要性を疑う傾向もあるようだが、書いたコードがモロに動作に出るっていうか、プログラムの仕組みがよりダイレクトにわかって勉強になる。たとえて言えばCPU制御しないかつメカチューンの車が好きな人の気持ちがわかるような気がした。ちなみにとりあえず大学の講義であわてない程度には勉強できたかナ。

2009年5月12日火曜日

地図の読める女

大学で習っている講義のうちのひとつは、女の先生だ。講義内容は地図情報システムの使い方と情報の分析みたいなもののようだ。「地図というのは位置情報と属性情報を組み合わせて世界のあらゆるものを記述できるものなのデス」と言われてなるほどと思った。今までそういうことを意識していなかった。

とかく女は地図が読めないと言われている中、地図が御専門の女の先生とはまたカッコイイ。地図が読めないことではタイヘン女らしいワタクシもそれで方角とか地理的関係のようなものに興味を持ち始めた。

そこで昨日、方位磁石を買った。だってGPSだとケータイのパケット料も電池の消費もかさみそうなんだもん。それで今日学校に行く途中でたびたび方角を測ってみた。うちから最寄の駅まではSEの方角にあるということ、今まで全く意識していなかったが今回初めて実感した。けどしばらくの間SEを南西と思い込んでいた念入りな方向音痴だ。

加えて、自分の歩幅で大体50m歩くのに100歩くらいとわかった。大学の通用門に大きく、「正門は50m先」と書いてあるところから正門まで歩いて調べたのだ。とすると、方角と歩数で大体の距離がわかるだろう。けどまたそのあと、それじゃ200歩は1kmだなと換算してしまった。足なげーよ。

2009年5月8日金曜日

ブラックボックス

ワタシはとかく目で見えるものに頼りすぎるっていうか目で見えないものにはてんで弱い。だから原子を丸電子軌道を円とかで描かれると、そういう先入観に引き込まれる。そんな状態で原子はさらに素粒子に分かれるとか言われると、その丸いものをパカと割るのかと思ってしまう。
粒子はカタツムリなんかも波の性質を持っているとか、超臨界水は気体と水の両方の性質を持つとか言われても、カタツムリがサーフィンしている光景を想像したり、湯気と水の見た目をそれぞれ想像したりするからわからなくなる。
よく理科の実験は「目で見てわかる」ものにすべしと言われるが、コトによってはそれが「見えないものを推測できなくなる」原因になってはいないだろうか。水の融点沸点とか調べるとき、沸騰してるとか凍ってるとかの目で見た印象のほうが先に認識されてしまい、データがそれにひきずられることはないだろうか。むしろフラスコに布かけて見えない状態で、純粋に温度変化だけを追っていくような実験を、一度はやってみたほうがいいんじゃないかと思う。もうそのときは最後まで布を取らないで、児童生徒には若干フラストレーションが溜まったような状態で終わらせてしまう。彼らがそれを解消するために自分で何かやり始めればしめたものだ。

2009年5月2日土曜日

ピンホール

カメラに親しむようになって思い出すのが「ピンホール」だ。すでに小学校の理科でやっていたように思うが、どうしても理解できなかった。なんで小さな穴を通してロウソクの像が向かいの壁に写るのかということが。固定観念にとらわれたワタクシのヘボアタマでは、物体がそれより小さい穴から「見える」ということが想像できなかったのである。

一方天体望遠鏡のほうは、いかなデカい星でもとおーくにあるので天体望遠鏡のレンズの「中におさまって」見えるという風に理解していた。だからロウソクをうーんとうーんと遠くにやってピンホールの穴からのぞいて中に収まって見えるくらい小さくするというなら理解できるが、どうやったってその位置のピンホールの穴からはロウソクのボデーの部分が真っ白く見えるだけだろうがという風にしか考えられなかった。でもロウソクが危ないからか小学校でも中学校でもその実験をやってくれなくて、確か高校で初めて先生が実演してみせてくれたのを見て、とても不思議だった。

とダソナに言ったら「うちの茶の間にピンホールあるの尻ませんカー?」と言う。「それってどこどこ」ときくとカーペット(お座敷だけど)を指す。「エレクタ」製の棚の棚版には小さな穴が開いている。その一番床に近い段の棚板の穴の下のカーペットに白いワッカが映っていた。「コレが結像してるじゃないですカー?」とダソナは天井の蛍光灯のワッカを示して言う。

なーるほど。全然気づかんかった。ダソナずっと知ってたんだ。自分のダソナながらエライ。

さらに同じ原理のピンホールはそのへんの紙に穴を開けてもできると教わった。A4版の紙の中心に穴を開けてみたワタシにダソナは「それじゃ小さいかもヨ」という。原理がまだ飲み込めていなかったワタシは「ああ紙が蛍光灯のワッカより小さいってこと?」と聞いてしまった。光が回折するということがまだ実感できないらしい。分光機器エンジニアの妻の資格がだいぶないと思った。ともあれ身近な科学おもちゃを見つけたワタシはそれ以来いろいろな大きさの紙にいろいろな大きさの穴を開けてはテーブルや床の上に結像させて遊んでいる。